今日は、メーデー。
ネパールの今日は、祝日で、暦の文字も赤で書かれています。
メーデーの今日を祝日とする国は、、少なくとも80以上、と言われているようです。
あいにく今日は、雨になっています。
朝5時過ぎから降り始めましたが、5時間たった今も降り続いています。
でも、今は、山の線がきれいに見え始めました。
こんなすっきりした山を見るのは久しぶり。
このまま晴れてくれるといいのですが、午後は雨、との予報があります。
ここ何日かパッと晴れた日がなく、
そのせいか空気が冷えており、セーターを着ています。
カトマンズには、私が「道端の犬」と呼んでいる、飼い主のいない犬がたくさんいます。
まず、人にかみつくことはないようです。
簡単な食事ができる店の前などにいます。
食べ物をもらえるからでしょう。
その中に、3本脚の犬がいます。
どうも生まれた時から3本脚のようです。
というのは、脚が途中から折れた後はなく、脚があるべき箇所がきれいなのです。
で、私としては、生まれた時からかな、と思っているわけです。
道の真ん中だったり、店の入り口だったり、その時の気分で横になっています。
冬の寒い日などには、多分、店の人が敷物を敷いてくれています。
そこに横になって、目をつぶっているところをよく見ます。
「スッタ(眠ってなさい)」と声をかけて通ります。
時には、薄目を開けて反応することもあります。
道端の犬には、私は声をかけるだけで、食べ物は与えません。
1回はいいですが、通るたびにいつも何か与えられるものではないので、
食べ物がもらえる癖をつけては、と思うからです。
それで、声かけだけにしています。
一瞬のふれあいですが、私にとっては、顔見知りになったたぶん名前もない犬との、
ほっとする、大切な瞬間です。
天気、悪い。
もういい加減でなんとかなってくれないか・・・
これでは・・・ね。
昨日は、午後からまとまった雨。
暗くなっても、降っていました。
今朝は、その続きのような空。
昨日と同じ経過をたどりそう・・・な空模様です。
カトマンズの電気と言えば、停電がつきものです。
ほとんど毎日のように、朝昼夜に関係なく、停電がありました。
それが、最近変わりました。
それもよい方へです。
停電の回数がぐっと減りました。
停電が、なぜか、珍しいことになってきています。
もちろん、停電がすべてなくなった、わけではありません。
あるのですが、今は、ほんとに珍しいことになりました。
ネパールの人が言うには、
設備が古くなったので、しょっちゅう停電になる、とのことでした。
それを真に受けて考えると、設備が新しくなった?と言うことになります。
10年前までは、計画停電が行われ、1日に2,3回、1回の停電が長時間に及び、
特に夜の計画停電は、カトマンズの町を暗くし、
店先の小さな明かりだけが頼りでした。
家々ももちろん停電で、ソーラーのパネルを置く家が多くなり、
また、国もその設置を進めていました。
時間が来て明かりが点くと、「バッティアヨ!」(電気が来たよ!)と叫ぶ子供たちの声があちこちに響き、
私も一緒に「バッティアヨ」と口にしていました。
今は多分、設備が新しくなったかして、家庭の停電がぐっと少なくなり、
暮らしやすくなりました。
かつては、大雨や強い風、雷などが、停電にさせていましたが、
これらに対して強くなっているのか、これからわかってくるでしょう。
停電は、スマホを手放せない人たちの楽しみも奪っていましたが、
落ち着いた日になるのでしょうか。
カトマンズが進歩している、一つの表れと言えそうな、そんな停電の今、です。
今日のネパールの暦には、
「おかあさんの顔を見る日」と書かれています。
ネパールの「母の日」です。
こうした行事祝い事は、新月の日に行われるようで、
今日もネパールの暦には、新月と書かれています。
おかあさんの顔を見るための人たちの行き来で賑わう日です。
朝から天気もまあまあで、今日一日天候の不安はなさそうです。
私は、5月の第2日曜日、にこだわらず、
ネパールの人たちと一緒に母の日を祝おうかな、と思っています。
きれいなカーネーションがあれば、それを何本かまとめて買おうと。
ネパールでは、母の日とカーネーションは結び付きませんので、
新鮮なのがあるかどうか、心配ですが。
いい「母の日」でありますように。
(休日)
今日、4月25日はネパール地震が起きた日です。
10年経ちました。
今でもあの時の揺れや怖さを覚えています。
忘れることはないでしょう。
その後、建てられる家の鉄筋が太くなり、数も増えたようです。
あの揺れ、壊れた家々、世界遺産の建物も、個人の住宅もつっかえ棒が支えていました。
あの光景も忘れられません。
一番最初に復興なったボウダナートを始め、
ダルバール広場の世界遺産の建物なども復興されましたが、
地震直後のたくさんのつっかえ棒や、制限された見学ルートなど、
私には初めての経験がたくさんありました。
地震後、再開や新築の家やビルの建築、
地震のこと、忘れたみたい・・・と、思ったりしました。
今では、地震の後建てられた家も多くなったことでしょう。
私が今住んでいる家も、築5年くらいと聞いていますから、
そうした家々のひとつでしょう。
ネパールでは、7,80年に一度、大きな地震が起きる、と言われています。
10年前の地震も、その計算に当てはまっています。
そのうちの10年が過ぎたことになります。
ネパールでは、2種類のカレンダーが使われていますが、
地震の日については、日本と同じカレンダーでは4月25日ですが、
ネパールの暦ではボイサク月12日になります。
私は、地震が起きた日を4月25日と覚えていますが、
ネパールの人は、当然のようにボイサク12日と覚えているでしょう。
私の地震の日と、ネパールの人の地震の日が
同じ日に重なる年は地震後ありませんでしたが、
今年は、同じ日を地震の日として思い出すことになります。
今日はこの後、ボウダナートへ行こうと思っています。
何かの時には、あの大きな目を見て、納得したいと思うのです。
ボウダナートへ行きました。
私の元日の恒例になっているのですが、
今年は、友達犬ミスティの調子が良くなかったので、延ばしました。
元日の夕方、ミスティの生涯が終わり、
昨日、埋葬を済ませたので、ボウダナートへ行ったわけです。
5色の旗タルチョに、「Misty ありがとう!安らかに眠れ・・・」
と書いて、塔に掲げてもらいました。
同時にいくつかのタルチョを掲げたので、
あれが私のタルチョではないか、と思いながら、
陽を浴びながら見守りました。
風に揺れるタルチョはきれいです。
あの揺らめきに乗って、平穏に眠ってくれるでしょう。
ミスティ、安らかに・・・
2024年の元旦の昨日、私にとっては大きな出来事がありました。
私の友達犬ミスティが12年の命を終えました。
ミスティはラブラドルのメス。
私のところへ来たのは、生まれて8か月の時。
その後、私の友達犬として、一緒に過ごしてきました。
性格も、見た目もいい犬でした。
年を取り、弱っていくのは仕方ないとはいえ、
ここ何日かは、見ていてもつらそう・・・と映りました。
顔をまっすぐ私に向けて、私を見ていた何日か前のミスティ。
私も見つめ返して、ミスティの気持ちをまっすぐに受け取りました。
大晦日の日は、頭は前足に挟んだままで、持ち上げることはなかったのですが、
昨日は、頭を上げて少し離れた場所にいた私を何回も見ていたミスティ。
何かわかるものがミスティにあったのかもしれません。
私にとって、忘れられない場面になるようです。
今日、埋葬しました。
明日はボウダナートへ行って、ミスティの平安を祈ります。
2024年の元日、私には忘れることのない一日になりましたが、
ここまでミスティとともに過ごした部屋で、
私は、いつもそばにいたミスティを忘れることなく、これからも暮らしていきます。
ミスティ、ありがとう。
安らかに眠って・・・。
年月日の日付をすべて書き換えるのは、
年が替わった最初の日しかないんだな、と思いながら、書き換えました。
そして、本文。
新年おめでとうございます。
日本のテレビが「ゆく年くる年」の放送を始めたとき、
ネパールは、夜の8時半でした。
3時間15分の時差です。
ネパールが新年になった時刻には、私は眠っていました。
今朝も、家作りの人々の声や車の音に起こされました。
10時前の今は、暖かな、いい朝です。
今日の空のような、暖かくて穏やかな日々の年であってほしいものです。
2024年元旦ですが、ミスティの様子を見ながらなので、
長時間の外出はしませんが、
気持ちを改めにちょっとだけ近くを回ってこようと思っています。
いい一日でありますように。
そして、この一年がよい年でありますように。